連載 りれー随筆・215
「産むのは私」—表象のもつ暴力性
嶋澤 恭子
1
1熊本大学大学院文化表象学分野
pp.964-965
発行日 2002年11月25日
Published Date 2002/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611902991
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友人の出産
この夏,友人が出産したというので久しぶりに訪ねてみた。生まれた女の子は軽い内反足らしく,両足が包帯で固定されていた。「入院してる時にな,夜勤の助産婦さんが,この子の足を見て『お母さんのせいじゃないからね』っていうの。次の日の助産婦さんは,『ちょっと早めにお靴ができたね』って。あんまり心配してなかったのに,なんか親として『この足もっと心配しなあかんのや』って気にさせられたわ。でも入院中やったから,いやな褥婦って思われたら面倒やし,助産婦さんの親切心も踏みにじらんように,気がついたらこっちも良い母を演じてた。なんか疲れたわ……」。彼女は入院中のエピソードをそんなふうに話してくれた。そして,この話が私の心のどこかに引っかかっていた。
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