今月のニュース診断
「生そのものという損害」の意味—フランスのWrongful Life訴訟をめぐって
加藤 秀一
1,2
1明治学院大学社会学部
2社会学・性現象論
pp.190-191
発行日 2001年3月25日
Published Date 2001/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611902599
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河童(kappa)の生
芥川龍之介の名作「河童」に描かれた河童社会の奇怪な風俗のなかで,ひときわ印象に残るのは「河童のお産」の光景だ。いざ出産という間際,父親は母親の生殖器に口をつけ,「おまえはこの世界へ生れて来るかどうか,よく考えた上で返事をしろ」と腹の中の胎児に尋ねる。すると胎児は気兼ねしながらも「僕は生れたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じていますから」と答え,生まれてくることを拒む。そこで産科医が何か液体を体内に注射すると,妊婦のお腹は「水素ガスを抜いた風船のようにへたへたと縮んで」しまう。自分の生そのものの価値を否定した胎児は,望み通り,生まれる前にどこかへ消え失せてしまうのである。
この作品が発表されたのと同じ1927(昭和2)年に,アメリカ合衆国連邦最高裁が,強制断種を合憲と判断して優生学を制度的に確立したことは記憶に値する。その理由は「犯罪傾向の子孫を放置し,精神遅滞の子供を餓死に追い込むのを座視するよりは,社会が,明らかな不適応者が子供を作らないようにすることは全体にとって善である」というものであった(米本昌平ほか『優生学と人間社会』講談社現代新書)。「河童のお産」は架空のものではなかったのだ。
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