特集 私の新人時代--助走から跳躍へ
「好きだから」と言えるまで
斉藤 幸子
1
1神奈川県立看護教育大学校専門看護学科母性看護課程
pp.275-279
発行日 1989年4月25日
Published Date 1989/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611207592
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
死に出会わない看護
私が,そもそも助産婦になろうと思った動機は,子供が好きだからとか,母性に関心があるからというような肯定的な考え方からではなかった。私が学んだ看護学校は,国立病院付属の学校で,がんセンターも併設されていた。したがって,実習で接したほとんどが癌患者であり,看護学校を卒業するまでに数えきれないほどの死に出会った。そうした中で,どうしても看護の素晴らしさ,魅力のようなものが見出せなかったのである。患者さんの死に出会わなかったのは母性看護実習のみであった。だから私は,恐ろしく,そして空しい死という現実からただ逃げたいという気持が強く,それが助産婦になろうと決めた偽らざる動機であった。
そんな私が,今は「なぜ助産婦をやっているの」と聞かれたとしたら,「好きだから」と躊躇なく答えられる。根底に好きであるという気持がなければ,今日まで助産婦としてやってこられなかったのではないかと思う。もっとも,「好きだから」とはっきりと自分自身の中で確信がもてるようになるまでには,それこそ,さまざまな体験をしてきた。今回,図らずも私の助産婦としての仕事の軌跡をたどることになったが,ちょうどよい節目のような気がしている。
Copyright © 1989, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.