母もわたしも助産婦さん
新知識をむさぼるように吸収したい
植久 サカエ
pp.16-17
発行日 1967年6月1日
Published Date 1967/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203408
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祖母や母と一緒に仕事をするようになって1年が過ぎた.開業助産婦の後継者がいなくて困っている時代に,孫の私が帰って来たことが祖母にはとてもうれしいらしく,来客者には必ず「あととりができた.」と自慢するので閉口してしまう.しかし,いくら自慢されても自分の家という気楽さで,助産婦の資格はどこへ行ったかの仕事ぶり.というのは,寮生活のおかげか,自分の怠慢からか料理,洋裁,編物,お茶,お花が全くダメ.同級生の大半が結婚し,時には二人目を分娩に入院して来るのを見ると,母は何もできない私が心配で仕事より習いごとを優先させた.料理はともかく,針仕事は苦手で,「洋裁は人に頼むから」と変な理窟をつけて拒否してみたが,田舎での女の人の話題はおしゃれと食べ物,話についていけないようでは困ると年下の人と一緒に習うことにした.料理や洋裁も習ってみるとけっこう興味深く,1年でどうにか常識程度はできるようになった.おけいこごとの合間に仕事をする程度だったので,たいして母の手助けにはならなかったが,それでも母は話し相手が一人増え,その上娘を自分の手元においておける安心感があるらしい.
病院では助産婦とはいえ,職種がはっきり確立していないので産科看護婦的存在であった.自分のうしろには医師,先輩,整った設備がついていると心強い気持があった.しかし助産院ではすべての責任が助産婦にある.
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