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助産婦教育研究会のあゆみ—もと助産婦専任教員同窓会を改称して
勝島 喜美
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1公衆衛生院衛生看護部
pp.55-56
発行日 1966年8月1日
Published Date 1966/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203250
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- 文献概要
第二次世界大戦後わが国の看護教育が大きく転換,前進し,この背景にはGHQの力のあったことは周知のことであります.最初の案では保助看の業務を一体化した広義の「看護」の業務を実施する者の「保健士法案」を計画されましたが,当時,時期早尚とのことで保健婦,助産婦,看護婦に一応分離した姿で継続していると聞いておりますが,当時の指導者であった米国では開業助産婦制度がなく,また出産介助は医師と看護婦によって行なわれておりましたが,日本の実状と戦前からの長い助産婦教育の歴史から助産婦の必要を認識されたように推測しますが,ともかく現在ある保助看法の学校養成所指定規則のように改革されました.それは従来の私立助産婦学校,助産婦講習所指定規則で行なわれていました助産法を主として保健指導などは軽かったのを保健指導なども大きく取り上げた教育課程で助産婦の専任教員によって教育されるようになりました.
この新制度による助産婦教育が発足する昭和27年度に先だって,助産婦教員の第1回養成が昭和25年度より1年コースとして厚生省主催助産婦専任教員講習会として行なわれ,厚生省看護課伊藤隆子氏ならびに当時東京都庁におられました小柳琴氏が本コースを担当されまして始まりました.最初のことであり両氏のご苦労は大変だったと拝察しております.
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