巻頭随想
おさんばさん
重田 定正
1
1日出学園
pp.9
発行日 1963年6月1日
Published Date 1963/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611202547
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小児科医として社会人になったので,何人かの助産婦の人たちを知ることができた.その中に,まことに善良で誠実なために,家族の者にも人格的感化を与え,したがって助産婦という職業を高く評価させるようにした人がいる.孫たちは,病院で生れたが彼女は遠方にある職場から,忙しい勤務の暇をぬすんでやってきて,後輩に何くれとなく注意してくれたので,嫁もずいぶん気丈夫だったようである.こんなしんせつな人が多いから助産婦の社会的地位が保たれかつ高められるにちがいない.
臨床を離れて公衆衛生の仕事をしている間に,学校に養護教諭を置く制度をつくることに関係したことがある.この学校で,子どもの保健のために働く女性は,かつて衛生婦ともいわれていた.トラコーマの多い地方では,洗眼婦と呼んでもべつにおかしいとは感じなかったそうである.それは洗眼以外の仕事をやる時間がないと,自他ともに認めていたからであろう.養護教諭の制度が確立されてからも,彼女たちには,いろいろな悩みや不平があった.その一つに,学校保健本来の仕事のために忙しいのなら,いくらでもがまんするが,来客が校長室にいると,お茶汲みをさせられるということがあった.また,女の先生たちよりも一段低くみられるのがいやだ,看護婦さん,衛生婦さんなどと呼ばないように,子どもたちにも「先生」と呼ばせてもらいたいという要求もあった.なるほど,何と呼ばれるかは,彼女にとっては大問題なのである.
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