特集 家族計画
春日部市の家族計画
長野 都司恵
1
1春日部市幸松婦人会
pp.13-15
発行日 1959年5月1日
Published Date 1959/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611201674
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春日部市幸松地区が家族計画を取上げて発足したのは昭和29年の3月であります.当時は北葛飾郡幸松村として面積8.1平方粁,人口5,466,世帯数970戸の半農村で比較的便利なため勤人も多く村自体としては裕福であります.当時農業を経営する部落では子供を労働力としての考えが強く,受胎調節には無関心,一方勤人は受胎調節より人工妊娠中絶のため医師に通うという状態でありました.村の集会のゆきずりにも縁先に生気無い顔の嫁に様子を問うと例の○○と答えて後をいわない.家の姑への気がねも察しられる.体へあたえる悪影響を説くと裏の○○ちやんも向いの○○さんもやつたという.母体に及ぼす障害を思い,また尊い生命が暗に葬られることを考え慄然とする.中絶することを当時の流行の様に考えているこの問題を母親自身の健康と子供の幸福を考え解決してゆかなくてはと考えました.この様な地区の状態は春日部保健所管内29カ村の中でも人工中絶者が第3位ということと,人口自然増加率が第6位という理由や当時の村長がこれに関心を持たれていたということで受胎調節のモデル地区として指定を受けました.組織は村長が統轄責任者となり,相談役に医師,助産婦,保健婦,婦人会長,その下に地区長と班長をおき,受胎可能な年令の有夫の婦人が班員となりました.班員は425名で部落別23班に分け,1班を単位としてポスターや模型による説明会,座談会と開催しました.
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