歌舞伎
一谷嫩軍記—熊谷陣屋
pp.49-50
発行日 1955年5月1日
Published Date 1955/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200850
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不世出の至芸をうたわれながら昨年惜しくも他界した中村吉右衞門(幡磨屋)の当り芸のひとつに陣屋の熊谷がある.原作の一谷嫩軍記はもともと文楽の人形淨瑠璃のために書きおろされたもので,ほろびゆく平家の運命を背景として義経の活動を大きく浮び上らせている淨瑠璃であるが,歌舞伎芝居に採り入れられてからは本題の《熊谷陣屋》一幕ばかりが繰り返し上演されるようになつた.--一の谷の合戦に出陣しようとする熊谷次郎直実は『この花江南の所無なり,一枝を切らば一指を切るべし』と書いた制札を示され,幼い時平家方に危い命を助けられた恩返しの意味で平家の公達の蕾は無下に散らさないようにと主君義経から内命をうける.やがて須磨の浦の合戦に出た熊谷は平敦盛を追かけ,馬に跨つて海上はるかに落のびて行くのを大音声をあげて呼び戻し(須磨の浦組打ちの場),敦盛の首をかきおとす,と見せて実は自分の一人息子で年わずか18に才の小次郎の首を斬る.一方一の谷にある熊谷の陣屋には真実の妻相模がわが子小次郎の初陣の姿を見んものと武蔵の国から着いたところである.その時熊谷の陣屋にはもうひとりの女性が現われていた.それは敦盛の母の藤の方で,藤の方はその昔相模の命を助けたことがあつた.藤の方がここに来たのはわが子敦盛の戦死を伝え聞き,当の下手人が相模の夫であるとも知らず,且て命を助けた恩を楯に相模に向つて敦盛の仇討に手を貸してくれと頼む.
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