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今月の言葉
pp.9
発行日 1955年3月1日
Published Date 1955/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200802
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被占領時代における我国助産婦の"指導"の分野は,專ら産科看護の方面と,保健指導の方面に主力が置かれていた.この方針は,G.H.Qの看護課により発せられた指示に基くものである事はいう迄もない.米国に於ては,既に助産婦が消え去ろうとしており,勿論新しい助産婦の免許は発せられていない.米国における最後の助産婦が死滅する日も遠くはない.我国の助産婦の眞にあるべき姿に付て見識を有するものが,この看護課になかつた事は当然であり,寧ろこれを求めるのが間違である.助産婦の指導が,看護婦の本来有すべき知識である"産科看護"と,かの国における保健婦の使命たるべき"母性指導"の二つの方面を混ぜ合せた知識に基いて行われたことも,異とするに足らない.勿論,この二つの方面の知識は,我国の助産婦にとつて又重要な参考知識であり,彼等が日本助産婦に残した功績は,相当に評価されてもよい.占領時代のものは,すべて排撃するという偏した思考をとるべきではないと思う.消化吸收して我国に又有意義なるものも決して少くはない.
しかし乍ら,助産婦知識の核心をなすべきものは"助産の技術"そのものであり,看護婦,保健婦の知識分野と重複しない歴史的の重要な分野が,依然存在するという事を,吾々は忘れてはならない.このことは,助産婦の組織の問題とも関連するものである.
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