特集
私の経験をよんで 産痛
尾島 信夫
1
1慶大
pp.53-54
発行日 1954年1月1日
Published Date 1954/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200530
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妊婦に分娩機転や緊張・弛緩というようなことを教育しておいて,分娩が始つたなら親切に看侍を続け,開口期の発作時には弛緩を行わせ,娩出期には間歇時に弛緩を,発作時には努責を行わせるということは結構なことで,それによつて産痛が著しく軽減されることも多いと思います.助産婦が産婦を叱咤するというような態度を捨てて,筆者のように親身になつて努力されたことは敬服にたえません.私は筆者の努力が成功してこの經産婦が殆んど無痛に分娩をした事実も信じます.
ただ残念ながら,私の産痛に関する考えと,筆者のお考えとの間には異る点もあるようですから,その点をできるだけやさしく述べてみましよう.「お産は生理的のもので痛くないのが本当ですから」といわれているようですが,その根拠は何でしようか?自然分娩法の創始者のRead博士に着想を与えた1経産婦の質問も「痛くないのが本当ではないでしようか?」でした.なるほど私達が生理的とみる生活現象は殆んど無痛です.しかしここに考えなおしてみる必要のあることは,妊娠・分娩ということは種族維持の機能でああつてその外の生理作用は個体維持の機能であることです.前者のためには毎月貴重な血液を月経というかたちで失つたり,胎児は母親の健康を犠牲にしても育つて行く一種の寄生虫のような態度さえとります.
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