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短歌のまどい(3)—單純化,具象化ということ
牧 恒樹
pp.50-52
発行日 1952年9月1日
Published Date 1952/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200183
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今までにくりかえして,解りやすくとか具象性を持つてとか,單純にとか言つてきました。くどくなるかもしれませんが,もう1度この点についてお話してみたいと思います。
どんな芸術にも,それが芸術として成立つためには,いろいろの約束や形式があります。これをごくやさしく説明してみれば,個人の日記の類はそれを書いた人だけに解れば,あとは別に用はないので,早い話がその人が自分だけに解る暗号のようなものを考え出してそれで日記を書いたとしても,それは書いた人だけに解ればよいという性質から,すこしも不都合はないことになります。ところがこれと違つて芸術というものは,自分の気持を他人にも伝えよう,すなわち,あることによつて自分の心に生じた感動——それは悲しみの場合も,怒りの場合も,喜びの場合もありましようが——を,他の人に伝えよう,解つてもらおう,共感を得ようという心持があつて始めて成立するものです。だから当然そとには,作者にしか解らない,というものがあつては困るので,他の人にも解るために,ある形式というか約束というか,条件といつてもよいですが,とにかくそういつたものが必要になるわけです。これをまた形式とは何か,と考え出すと一層面倒になるのですが,ごく軽く考えて,他人にも作者の気持が解るための条件としておきましよう。
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