口繪
俵助産所を見る
俵 あい
pp.2-6
発行日 1952年3月1日
Published Date 1952/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200050
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俵助産所
この助産所を建てましたのは昭和23年の秋でございます。計畫を始めましたのは22年の3月頃からで23年の3月にようよう建築屋さんと話がつき6月に着手9月出來上りました。(9月19日落成式)10月1日より使用することができました。
このように申しますと簡單にできたようですがなかなか思うようにはゆかず,ことに資材の不足なときと云うよりは何もないと云つてもよい時期です。國でも家は建てさせたいが品物がないのですから,色々とむすかしい規則をもうけ,なるべく建てられないようにされます。私の方では又あの手この手とあちらへいつてたのみこちらへ行つて陳情しなどしてとうとう一年たつてしまいまし.たが,私が助産所の必要を強く感じましたのは空襲中疎開も出來ず東京に残つた妊婦さんが,家も燒かれ,小屋かけの中で(私は疎開しませんでした)二疊敷の土間の中で三人の上の子供は3尺の棚の中におし込んで上から毛布をかけ,一疊半のところで産婦を寝かせ助手と二人すわれば御主人のすわるところもなく,寒夜を一晩中外にたつておられました。之では如何に敗戰國とはいえ仕方がないと云つておられません。又私の方から産家に行くのに,分娩の諸材料は無論の事,便器,湯たんぽ時には食料品までもつて行かねばならず助手と二人で二臺の自轉車にのりきれず,二度に運ぶ仕末です。
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