横顔拜見
部會長横山フクさん
X
pp.40
発行日 1952年1月1日
Published Date 1952/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200016
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保助看法が改正された。新しい國家試驗制度がとられる。新しいバスに乘りおくれないよう再教育が推進されなければならぬ。社會保障制度の實施による分娩樣式がうつりかわつた等々,助産婦の世界には問題が山積されている。いやそれ以上に優生保護法や産兒調節問題からくる出産数が激減した。何しろ優生保護法による人工流産が年に49萬もあるという時代である。助産婦のお臺所は火の車である。「私たちはどうして食つていつたらよいのでしよう」—眞劍な叫びがあちこちから聞かれる。このような大難を背負つた助産婦の世界の大黒柱が横山さんである。助産婦部會長としての横山さんは26年4月の總會で,前部會長の大谷さんにかわつてから,全く東奔西走,ほとんど席の暖たまるひまのない程の活躍ぶりである。昨今は殊のほか忙しい。足跡全國にあまねしという言葉がそのままあてはまる有様である。東京で横山さんをつかまえようなどと思つたら,とんだめにあう。
口八丁,手八丁,正にシユトルム・ウント・ドラングの助産婦界を背負つて立つにふさわしい政治力もある,度胸もある,機略もある。亂世にして忠臣あらわるというが,時代が平靜なときに必要な人物と,逆境や難局に處する人物ではタイプが違わなければならない。嵐の中の助産婦界に必要なものは,政治的な實踐力のある氣魄ではあるまいか。嵐の中の道標は太く逞しい文字で刻まれていなければならない。
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