Sweet Spot 映画に見るリハビリテーション
「由宇子の天秤」—映画で「人間性」を可視化し定義する試み
二通 諭
1,2
1札幌学院大学
2札幌大谷大学
pp.91
発行日 2022年1月10日
Published Date 2022/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552202412
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「人間性とは何か」と問う作品系譜において,黒澤明の作品群は影響力において他の追随を許さない.森友事件で総理夫人らの名を隠蔽する必要から公文書を改竄させられた財務省近畿財務局の赤木俊夫も,黒澤明作品「生きる」の志村喬(市民課長・渡辺勘治)を,公務労働の手本としていたほどだ.常々,「ぼくの契約相手は国民です」と語っていた赤木は,心身に支障を負い,「気が狂うほどの怖さと,辛さこんな人生ってなに?」1)との言葉を遺し,自死へと追い込まれた.“人間性にもとる行為”が招いたものだが,翻って,この行為を強制した者たちの人間性も生涯問われ続けることになる.
さて,筆者は「由宇子の天秤」(監督・脚本/春本雄二郎)を,赤木が直面した困難のメタファーとして捉えた.政権与党による隠蔽工作を糾弾する野党の街頭演説が背景に差し込まれているのだから,さもありなん.
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