Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
トーマス・マンの『魔の山』―病気と高貴性
高橋 正雄
1
1筑波大学心身障害学系
pp.285
発行日 1999年3月10日
Published Date 1999/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552108935
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トーマス・マンが1924年に発表した『魔の山』(関泰祐・望月市恵訳,岩波文庫)は,スイスの結核療養所を舞台にした一大長編であるが,その第6章の中の「精神的修練」では,病気に関する二つの対立的な意見が闘わされる.
まず,合理主義的な立場に立つイタリア人のセテムブリーニは,「病気が肉体的なものの過度の強調を意味しており,人間をいわば肉体だけの存在にかえ,戻してしまい,そのために人間の尊厳性にとってきわめて危険なもの」であるとして,「病気は非人間的」とする意見を述べる.これに対して,非合理主義者のナフタは,「病気はきわめて人間的である」「人間であることは病気であることだからである」と,それと正反対の意見を述べる.というのも,「人間はもともと病める生物であって,病んでいることが人間を初めて人間にする」からで,「人間の尊厳性と高貴性は精神に,病気にある」からである.そればかりではない.ナフタは,「進歩というものがありうるならば,それは病気だけがあたえるものであり,天才だけのたまもの」であると,病と天才の関係に言及した病跡学的な見解まで述べるのである.
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