新春随想
「総合リハビリテーション」20年を振り返って
明石 謙
1
,
上田 敏
2
,
大井 淑雄
3
,
大川 嗣雄
4
,
緒方 甫
5
,
小川 孟
6
,
落合 芙美子
7
,
千野 直一
8
,
土屋 和夫
9
,
寺山 久美子
10
,
奈良 勲
11
,
横山 巖
12
1川崎医科大学リハビリテーション科
2東京大学医学部付属病院リハビリテーション部
3自治医科大学整形外科
4横浜市立大学医学部リハビリテーション科
5産業医科大学リハビリテーション医学
6横浜市総合リハビリテーションセンター
7国立身体障害者リハビリテーションセンター看護部
8慶応義塾大学医学部リハビリテーション科
9労災リハビリテーション工学センター
10東京都立医療技術短期大学作業療法学科
11金沢大学医療技術短期大学部理学療法学科
12元七沢リハビリテーション病院脳血管センター
pp.75-80
発行日 1992年1月10日
Published Date 1992/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552106994
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人間や生活を主体に
明石 謙(川崎医科大学リハビリテーション科) “総合リハビリーテーション”が創刊後20年目を迎えることになった.この雑誌の出発の1年ほど前に,上田敏先生の発案により,新橋の第一ホテルの集会室で上田敏,大川嗣雄両先生とともに数時間にわたり雑誌のあるべき姿とか内容についていろいろと検討を行い,「これなら大丈夫」という結論を出したことが懐かしく思い出される.当時から私は岡山におり,リハビリテーション医学会や,理学療法士・作業療法士の国家試験の委員会以外では同業の人達と話す機会が少なかったので,昭和47年にこの雑誌の編集委員会が出発すると,毎月の会議が待ち遠しいほどだった.毎月の編集会議は,無論まじめに編集のための会議も行ったが,同時に情報交換の場であり,傘を持たぬ者同士,平生の不満をぶっつけ合うストレス解消の場でもあった.最初の頃は東大の向かいの古い医学書院の建物で編集会議があった.自慢ではないが,私は立派な方向音痴なので,地下鉄の本郷三丁目の駅から心配しながら左側を見ながら10分ほど歩き,白いタイル張りの医学書院の建物が目に入ると,「ああ,迷っていなくてよかった」と胸を撫で下ろしたものである.
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