理学療法草創期の証言
頸髄損傷者小田急線でデパートへ買い物に
新藤 信子
pp.702
発行日 1994年10月15日
Published Date 1994/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551104112
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1967年11月,私が1年4か月の英国留学から帰国したころの国立箱根療養所の頸髄損傷の患者はベッドに寝たきりで,辛うじて呼吸をすることと口に入れられた柔らかい食物を飲み下すのが精一杯であった.胸・腰髄損傷の下半身麻痺者でも,褥瘡があって何年も寝たきりの患者や,20年以上も入院を続けている患者も多く,車いすに起きている患者は数えるほどだった.(当時,英国の頸髄損傷者は,自分で車いすを移動し,自動車を運転して職場に行き,健康人と同じ職場で働いている時代だというのに…….)
理学療法士としての私は,医局員を除いた他の職員と患者から,“アメリカ帰りの女”・“イギリスかぶれの女”と冷たい目でみられ,ことごとく反発され,圧迫された.けれども決してくじけはしなかった.療養所で一人の目の不自由な理学療法助手と私とでまずやったことは,頸髄損傷者をベッドから起こすことだった.それをみた療養所の職員は,看護婦も含めて,私が患者を殺すだろうと期待していたほどだった.
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