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1970年3月,私は清瀬リハビリテーション学院を卒業し,臨床への第一歩を故郷の恵寿病院(現・社会医療法人財団董仙会恵寿総合病院)で踏み出した.10年間,私なりに臨床経験を積んだ後,1980年4月,金沢大学医療技術短期大学部が設置され,私も後輩を指導したいという思いで教育に携わることになった.以来,これまで理学療法士養成に28年間関わってきたが,ふと振り返ると,卒業して38年の年月が過ぎたことになる.2007年4月,私の故郷である石川県七尾市に理学療法士養成のための専門学校である国際医療福祉専門学校七尾校が開設されることになり,私は矢も盾もたまらず,私の残った人生を故郷で完全燃焼するつもりで七尾へ戻ることにした.現在,一緒に頑張ってくれている教員仲間と共に,私たちの理想とする理学療法士養成を目指して奮闘しているところである.
私が考える理学療法学教育のあり方は,「理学療法士による,理学療法士のための教育」である.昔,どこかの大統領が唱えた文言のようではあるが,今の私の基本的な考えを素直に表している言葉でもある.付け加えていえば,教員である理学療法士が自立して,独自の専門技術教育を行うことで,卒業後,臨床の場で誰に頼ることなく自立して理学療法業務を遂行できる理学療法士を育成することである.こんなことはもうどこの養成校でも当然行っているとお叱りを受けるかもしれないが,現状を考えてみると,なかなか難しい面があるように思う.特に教員側が,理学療法士として,独自の専門技術教育を行えているかというと,疑問を感じざるを得ない.臨床においては多職種連携の重要性が増しており,関連職種と協力する中でも,理学療法士独自の専門技術を発揮することがわれわれの専門性を高め,社会的な評価にもつながっていくと考える.その意味で,理学療法士養成に関わる者は,自身の専門技術を磨くことで学生にその成果を示すことができなければ,卒業生が臨床の場で自立していくことが難しくなるのではないかと危惧している.私のこの考え方が正しいかどうかの結果は,3年後にならないと出ないだろう.しかし,卒業生が臨床の場で,他の専門職種に伍して活躍する姿を夢見るのは,理学療法学教育に携わる者であれば当然のことである.2010年3月に第1期生を本校から輩出することになるが,果たして何人が私の理想を実現してくれるのか,期待する一方で不安もあるが,1人でも多く臨床で自立した理学療法士を育てて行きたいと考えている.
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