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人間が他の動物と違うところは,高度の知性や精神的文化を持っていることであるという.しかし子供を殴り殺したり,ビニールづめにして捨てたり,多数の人間を虐殺したりするものがいると,猿などが死んだ子を干涸びるまで抱き続けたり,食肉獣の生きるためにだけ必要な殺生をすることと比較して,どちらが情動や悟性の点で,優劣があるかわからない.こうして観ると他の動物と違った人間の"心"や"精神性"が高級なところにあると,果たして言えるだろうか.最近,ノイローゼや心身症が話題になっているが,動物園などの,とじ込められた状態に置かれる動物にノイローゼになるものもあり,行動もその動物が自然の中で活動する生態と違った種々様々の異常行動をするそうである.檻の中にとじ込められて動物個有のコミュニケーションが限局されると,自閉症状や自分の体をいためたり,死ぬことさえあるという.これを人間の行動と対比させ活写しているのがD.モリスの「人間動物園」である.モリスは動物の行動を擬人化して人間の心理,異常行動などの意味づけをしている.人間の行動が動物に似ているといっていいのかその逆なのか,あまりにも類似している例を,多数示してくれる.われわれも知らずしらずのうちに,囲いの中(社会や世間または職場も)にとじ込められていると,異常が正常と思われ無感覚になり,馴化されて修正のきかない人間になってしまうのではないか.
もはやお読みになった方もあるかと思うが,最近出版された岸田秀の「ものぐさ精神分析」ではわれわれが生きているこの世界,社会も風俗もはたまた男も女も,親子関係や恋愛も"思い込み"や"幻想"のうえで成り立っていて,他者との関係のなかで,自分の存在を確認して安定させているという.それらの幻想の中では,エゴイズムや私的幻想をその成員が平均化して持っているもので,極端にいえば"共同幻想"を構成させているものは,狂った幻想の側面を共同化しているのである.その集団は,その中の賢明な人はもちろんさらに平均的な個人よりも愚かになることすらあり,それを他の共同幻想をもとにしない人からみれば,狂っているか異常としか見えないというわけである.遠くはドイツのアウシュビッツ,近くはわが国の圧力団体などをあげている.先の動物のノイローゼも共同幻想の異常化も,少しずつ進むから気付かず,あまりにも普遍化していると異常とは感じなくなる.私はこのあたりに怖さを感ずる.
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