検査室管理
山口医大臨床病理とその運営
柴田 進
1
1山口医大臨床病理学教室
pp.235-241
発行日 1958年4月15日
Published Date 1958/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542905457
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私達が思い出多い岡山県倉敷市の倉敷中央病院をあとにして,煙の街山口県宇部市の山口県立を医大に引き移つたのは1951年9月末のことであつた。山口医大の病院に中央検査室と臨床病理学数室開設の計画があるのは風の便りに聞いていたが,当時の学長松本彰先生が倉敷に来られ,この検査室の運営をする様にとお言葉を頂戴した時には勿論うれしかつた。しかし住みなれた倉敷とあたたかい情をかけて下さる倉敷中央病院の院長山崎先生や内科医長遠藤先生の許を去るのはつらかつた。太平洋戦争が終つた1年目に私はセレベス島から内地に帰還し,それからずつと5年間倉敷中央病院の研究室を預つていた。その間私はこの研究室を診療に直結させて活用しようと思つていろいろ努力して見た。そして丁度松本先生が倉敷においで下さつた頃には中央検査室の運営について私自身の見解が頭の中で形態をととのえかけていた。先生のお言葉が私をひきつけたのは無理のないことであつた。
1951年10月—現在講師の職にある高橋浩氏と一緒に臨床病理学の最初の講義をした時には中央検査室の建物は土台工事さえはじまつて居らず,講義以外は何も仕事がなかつたので,私は将来学生のテキストにするつもりで,"臨床生化学入門"(金芳堂)の原稿をせつせと書きつづけた。それを書き終つた1952年1月に中央検査室が竣工し,この月から私達は業務を開始した。
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