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私の専門が住血吸虫症の研究であるため,話題がそちらに傾くことはご容赦いただきたい.ミヤイリガイは日本住血吸虫の中間宿主で,宮入慶之助先生が1913年に発見してその名前が付いた.ただ,新発見には常に人間臭いドラマがある.マラリア原虫の伝播経路を発見したのが英国人のRossなのか,イタリア人のGrassiなのか,互いの愛国心を燃やしての論争となったが,ノーベル賞はRossだけが受賞している.ミヤイリガイも宮入先生が九州帝国大学教授時代に,当時助手だった鈴木稔先生と一緒に発見したものであるが,鈴木先生は“ミヤイリガイ”という名前がお気に召さなかったようで,感情的にしこりが残ったとされる.その後,鈴木先生は岡山医科大学教授に転出され,学生講義でも決して“ミヤイリガイ”と呼ばれず,“カタヤマガイ”という名称にこだわられたそうである.ちなみにカタヤマとは,備後地方の地名(片山)であり,日本住血吸虫症の流行地であった.私たちの研究室で開催した2013年の日本寄生虫学会大会では中間宿主貝発見100周年を記念してシンポジウムや市民フォーラムなども開催したが,鈴木先生の血縁の方とは連絡が取れず,“ミヤイリガイ発見100周年”とさせていただいた経緯がある.
その中間宿主貝のなかで幼虫が発育して,水中に泳ぎだしてヒトに経皮感染するのが日本住血吸虫である.したがって,病気の流行を制圧するためには,中間宿主貝を撲滅させることが戦略の1つとなる.そのためにわれわれの先輩はいろんな策を巡らしてきた.ミヤイリガイは完全な水棲貝ではなく,湿り気のある草むらにゴロゴロところがっている.そのような貝のすみかをなくすことや,貝を殺す薬を散布することは誰もが思い付くことである.貝を殺す薬を散布することは確かに効果が高い.しかし,その戦略の最大のネックは環境汚染であった.貝を殺すと同時に,多くの場合は魚も殺すのである.かつて,千葉県木更津市にも小規模ながらミヤイリガイの生息フォーカスが存在した.小規模だから殺貝剤を散布すれば簡単になくせると考えたのであるが,その方法は取ることができなかった.貝の生息地からほど近くに潮干狩りが盛んな場所があったからである.ミヤイリガイを殺す薬をまくと,アサリやハマグリも殺すかもしれないということで,市の当局からNoといわれた.
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