Coffee Break
北海道全域を襲った米艦載機による波状攻撃と,室蘭製鋼所への艦砲射撃を受けて
佐々木 禎一
1
1元札幌医科大学附属病院検査部
pp.1443-1444
発行日 2008年11月15日
Published Date 2008/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542101826
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1945年3月,1年余の室蘭製鋼所の生活を切り上げて,私は北大予科に入学したが,直ちに軍事教錬を含む3週間程の集中講義を受け,長沼村への援農に動員された.ここではK.S.君と2人で大きな農家へ配属されたが,当家は10数haの田を耕し,働き盛りの主人と若い2人の弟とその奥さん達ならびに使用人も含めて,労働力には恵まれていた.しかも納屋の奥には使われていないが古い自動車もあった.したがってわれわれ2人はあまり労働力として期待されていなかったものと勝手に解釈していた.
私は援農中も,室蘭残留の多くの中学同期の友達の生活が気になり,時折葉書で陣中見舞いを書き,また彼らからの近況がとても懐かしかった.さらに同じ時北大予科に入学した医類のH.O.,Y.S.君や工類のY.K.君と文通し,近況を交換し合っていた(Y.S.君は釧路で今も精神科医院を開業し活躍中であるが,他の2人は共に惜しまれつつ夭折してしまった).
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