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1.臨床検査での自分史―三つ子の魂
今回本特集の原稿依頼があったとき,題名をどうしようかと迷ったが思いきって―“引き込み線”の奮闘―とした.これには少々説明が必要である.私が“正式”に臨床検査の分野に顔を出し始めたのは,大阪大学(阪大)医学部を卒業してから14年経った1969(昭和44)年に内科から中央臨床検査部(検査部)へと移籍してからのことである.当時私と同世代には河合忠先生はじめ臨床検査の専門家,いわば本格派(本線)の方々が大勢活躍しておられた.それに対し私はいわば傍流の新参者だったのである.「宮井先生は“引き込み線か支線”のような立場だけれど,まあ頑張ってくださいね」とO先生から励まされたのを今でも忘れない.しかし以下追々紹介するように,これが私の臨床検査への情熱のモチベーションとなったと同時に現実での苦闘の始まり,そして果たせぬ夢への未練ともなったのである.
ところで私は臨床検査に関し決して“引き込み線”とは思っていないのでその証拠をお示ししよう.1955(昭和30)年に医学部を卒業した直後の私は当時の制度でインターン生だった.阪大ではその前年に全国の国立大学に先駆けて初めて検査部が設置されていたので,暇を持て余していた私はここに顔を出した.そこには血清蛋白分画のチセリウス装置などいろいろ珍しい機器が並んでおり検査技師の手伝いなどをしながら楽しく過ごした.翌年第一内科に大学院生として入局した私は,甲状腺の研究を始めることになった.阪大では初めてなので何も無いところから,専門診療に必要な検査を立ち上げるためまずラジオアイソトープ(RI)を使った甲状腺131I摂取率測定装置を自作した.次いで検査部に出向して甲状腺ホルモン〔当時は血清蛋白結合ヨウ素(PBI)〕測定のセットアップに悪戦苦闘した.医学部出身者の悲しさで分析化学に弱く,ある薬大出身の新人検査技師(実は後に神戸薬科大学臨床化学教授となられた渡辺富久子先生)を師と仰いで奮闘した.今から考えるとこの方法はヨウ素イオンの触媒反応を利用したμg/dlオーダーの当時としては難度の高い超微量分析で,これをマスターしたことは私の臨床化学技術の基礎としてよい経験になったのである.さらに私が最初に学会発表した演題が「甲状腺機能検査としてのTSH test術式の検討」で1958(昭和33)年の第1回日本臨床病理学会(現臨床検査医学会)近畿支部総会でのことだった.“三つ子の魂百まで”,私が“引き込み線にして引き込み線にあらず”という証明を終わる.
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