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1945(昭和20)年に第二次世界大戦が終結してからちょうど満60年を迎えた.戦後の混乱から立ち上がり,医療システムは米国医学の影響を大きく受けながら近代化への歩みを始めた.臨床検査界での最大の変革は中央臨床検査室制度の導入であり,医師と検査技術員が専従して臨床検査サービスを担当し始めた.やがて,中央検査室制度が医療界に急速に普及し,検査技師の教育制度および身分も確立し,それよりもかなり遅れて臨床検査医についても専門医としての身分が医学界で認知されるに至った.また,臨床検査に必要な機材については,臨床検査担当者の手作りで始まったが,欧米からの輸入に始まり,企業の努力によって国内での開発・生産が軌道に乗って,今や世界市場へと羽ばたいている.臨床検査に関する出版物では,学会誌に加えて,商業雑誌としてわが国の先便を切ったのは医学書院が1956(昭和31)年に発刊した「臨床検査」であり,50年になろうとしている.しかし,このような発展の黎明期を支えられた多くの先輩諸氏は既にこの世を去られ,当時の苦労と努力は想い出話として語られるに過ぎない今日となった.
近年,戦後大きく進歩,発展してきた臨床検査の歩みについては主要な関連学会や職能団体などによって記念史が発刊されている1~4).しかし,これらの多くは団体としての活動であって,個々の先輩がどのように考え,どのように発展に努力してきたかについてはほとんど触れられていない.筆者は古希を迎えた2001(平成13)年10月14日の誕生日に,こうした発展の歩みを「河合 忠が語る臨床病理史―世界の中の日本―」と題して出版した.この中で,日本の臨床病理/臨床検査の歩みを筆者の主観を通して記録したつもりである.一臨床病理医として目にし,感じたことであって極めて限定的であり,所詮,大きな象の体のごく一部,“目につき易い長い鼻”(あるいは尻尾であるかもしれないが)を眺めたに過ぎなかった.その他にも,多くの先輩の方々がそれぞれに別の体験を通して感じられたことがあるに違いないと考えてはいたが,ごく一部の方を除いては,なかなかご意見をお聞きする機会もないままとなっていた.この度,「臨床検査」編集委員会が,「私と臨床検査―先達の軌跡」を主題として企画され,こうした先輩の方々に依頼して,それぞれの体験を執筆していただくことになった.臨床病理/臨床検査の黎明期と成長期を支えてこられた多くの先輩がご存命でおられるが,今回は,紙面の都合で大変残念ではあるが,ご承諾を得られたごく限られた先輩諸氏にご執筆いただく結果となった.ご執筆いただいた内容は多彩であって,それぞれに異なった視点から臨床検査にまつわる想い出を書かれていて,大変興味深く拝読させていただいた.それらの内容が臨床検査の歩みの中でどのような位置づけになるかを読者,とりわけ若い世代の方々に理解していただければと考え,大変僭越ではあるが,筆者が書き残した「河合 忠が語る臨床病理史―世界の中の日本―」の目次を付記した(表1).目次の章・節に加えて,必要に応じて本文中の見出しを抜粋し,また注釈も記載させていただいた.「臨床検査」誌の前編集主幹としてのわがままをお許しいただきたい.
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