特集 岐路に立つ中小病院
中小病院の医療と経営の新戦略—成熟社会で「がんじがらめの経営」
平井 純
1
1医療法人医仁会平井病院
pp.430-431
発行日 1999年5月1日
Published Date 1999/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541902696
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当院は,家業兼務のために1962年県内某公立病院長を辞した父により,1963年外科・整形外科専門80床で開設され,1975年頃まで活発な医療を行っていた.院長が病気療養のため1986年内科医師の筆者が院長代行として運営を後継した.交通の便のよい場所に敷地が約20,000m2あったが,1965年前後の1次産業離れの時期に父がより高値で買入れしていった結果である.筆者が任務を負った時の病院の姿は,老朽化した建物,時代遅れの設備機器,そして士気の低下した34名の職員(常勤医ゼロ)だった.大和三山に囲まれ,明日香村を眺望する田園の中にあってのどかで,くつろげる環境だったが,ベッドは社会的入院の患者で占められ,外来は1日20人程度.地域に部分的に貢献していたが,晩年の院長の諸事情を反映していた.筆者はこれは致し方なかったとの感想を持つ.
30歳代後半で何も知らず,充実拡大か診療所化の選択だったが,病床数規制もなく,地域の医療環境(図1)などを鑑みて父に相談のうえ拡大を選んだが,10年間は一線で耐え得る病院作りをしようと思った.1988年に全面改築し,内科・神経内科・放射線科を新設し,149床に増床した.地元大学から常勤医を派遣していただき,10年経った現在は20名である(内科,神経内科,外科,整形外科,眼科,耳鼻咽喉科,放射線科).
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