グラフ
地域住民に信頼される医療を実践して50年—茨城県厚生農業協同組合連合会総合病院土浦協同病院
pp.917-922
発行日 1995年10月1日
Published Date 1995/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541901614
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院長就任当時の病院の状況
昭和23年新治協同病院が発足したのが土浦協同病院の始まりである.昭和45年に現在地に移転し,翌年総合病院土浦協同病院と改称した.この時の病床数は310床であった.
昭和48年に現院長の登内真先生が就任した.恩師である故川島健吉先生(東京医科歯科大学名誉教授)の後任として,25年間勤務した大学病院(東京医科歯科大学)からの転身であった.就任当時の心境を院長はこう語る.「あまりの環境の変化に困惑したものである.病院経営に全く素人が地方の基幹病院の責任者になり,どう地域の医療を推進していったらよいのか,連日連夜考えた.茨城県は当時医療後進県の代表であった.」胃癌の半数は手遅れで手術不可能,虚血性心疾患の治療も不十分,脳外科の専門医がいない,という状況は「東京に比較して約10年は遅れている」と思ったという.
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