医学ごよみ
7月—July 文月
木村 専太郎
1
1医療法人喜悦会那珂川病院
pp.685
発行日 1994年7月1日
Published Date 1994/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541901287
- 有料閲覧
- 文献概要
□9日 鷗外忌
文豪森鷗外(林太郎)は文久2年(1862)1月19日に島根県の津和野に生まれた.東京大学医学部卒業後,明治17年(1884)にドイツに留学し,帰国後,陸軍医学校,陸軍大学教官をへて明治40年に陸軍軍医総監に就任した.当時,陸軍と海軍で猛威を振るっていた脚気に対して,薩摩出身の海軍医務局長高木兼寛(1849〜1920,後に軍医総監,成医会講習所,後の東京慈恵会医科大学を創設)は,麦飯を主体にした治療法により好成績をおさめ,明治18年までには海軍から脚気を絶滅させた.しかし,陸軍はその高木の治療法に批判的で,明治38年の日露戦争では多くの陸軍将兵が脚気で死亡している.
明治21年(1888),ドイツ留学から帰国後,鷗外は訳詩集『於母影』を発表し『しらがみ草紙』を創刊した.明治23年(1890)に「うたかたの記」と最近映画化された「舞姫」を発表し,文壇の第一線に立った.
Copyright © 1994, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.