精神科医療 総合病院の窓から・4
—20世紀初期—Johns Hopkins病院の人々
広田 伊蘇夫
1
Isoo HIROTA
1
1同愛記念病院神経科
pp.602-603
発行日 1991年7月1日
Published Date 1991/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541900965
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William Oslerと精神科医療
アメリカで総合病院に併設された第2の精神科施設がHenry Phipps精神科クリニックだったことは,既に記した.この施設をかねて念願していたひとりにWilliam Oslerがいた.Oslerについては,聖路加看護大学長・日野原重明氏によって,既にその事跡の精細な紹介があり,わが国でもよく知られている.1892年に出版されたOslerの『開業医および医学生のための内科学の原理と実践』は実に16版(1947年)を重ね,現在のCecilやHarrisonの内科書が出るまでは,世界で最も広く読まれた内科教科書だったという.
1889年,時に40歳のOslerは,ボルモチアに赴き,Johns Hopkins病院の内科主任となっている.やがて,創設者J.Hopkinsの遺言に従い,この病院を中核とした医学校の設立に尽力し,1893年,開校とともに内科学教授に就任している.1905年,55歳に達したOslerはこの職を辞し,招聘されてイギリスに渡り,オックスフォード大学の欽定教授となる.Oslerはこの時,J.Hopkin大学の医学生,教職員に対し,現役引退ともいえる「定年の時期」と題する講演を行っている.日野原氏の訳書『平静の心』にはその全文の紹介がある.
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