連載 臨床医が病院長になった日・8
新米院長として「医療の谷間に灯をともし続ける」
足立 誠司
1
1国民健康保険智頭病院
pp.666-667
発行日 2024年8月1日
Published Date 2024/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541212217
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■義務年限内派遣医師として勤務した病院へ四半世紀ぶりに院長として着任
前任は鳥取市立病院で総合診療科として,診療局長,地域医療総合支援センター長を務めていました.智頭病院は中山間地の小規模自治体病院で,常勤医の高齢化,院長不在,中間管理職不在,内科系指導医不在等問題が顕在化し,鳥取県,鳥取市,智頭町が協議した結果,2022年10月より藤田好雄院長代行の後任として鳥取市(鳥取市立病院)から出向となり智頭病院院長を拝命しました.
1995年に自治医科大学を卒業し,義務年限内派遣医師として,卒後2年目,4年目に智頭病院に内科医として勤務しました.当時は総合病院として内科以外に外科,整形外科,産婦人科,小児科,眼科の常勤医がおられ,若輩の内科医としてはいろいろ助けていただいた思い出があります.その後,総合診療および緩和ケアに関心があり,総合内科専門医,緩和医療専門医,総合診療専門医を取得しました.2002年のWHO(世界保健機関)による緩和ケアの定義が一般的に知られていますが,その後定義が変遷し,2018年WHOは“Integrating palliative care and symptom relief into primary health care”という概念を提唱しました.その理念に賛同し活動をしてまいりました.
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