連載 事例から探る地域医療再生のカギ・2
大原綜合病院の医療再生
伊関 友伸
1
1城西大学経営学部マネジメント総合学科
pp.215-219
発行日 2015年3月1日
Published Date 2015/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541209815
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■何が問題だったのか
バブル期の投資の失敗による名門病院の経営危機
福島県福島市にある一般財団法人大原綜合病院は,1892(明治25)年に大原一が養父の原有隣と同居開業したことを始まりとする名門病院である.1925(大正14)年には,2代目院長の大原八郎が野兎病の菌を分離するなど学術上の業績も残している.1951(昭和26)年に大原綜合病院となり,1952(昭和27)年には財団法人化された.現在,福島県庁近くに立地する本院である大原綜合病院(429床)のほか,分院として大原医療センター(195床),精神科病院である清水病院(182床),大原看護専門学校などを運営する.本院である大原綜合病院は,二次救急医療のほか,地域医療支援病院や地域周産期母子医療センターの指定を受け,福島県北部地域の医療の中心的役割を担っている.
大原綜合病院の経営が危機を迎えたのは,バブル時期の1990 年に本院から心臓外科,脳外科など一部の診療科を切り離し,分院の大原医療センターを開設したことがきっかけである.約60億円をかけた建設費のほとんどは借入金で賄われた.機能が分散した2つの病院の運営をめぐる混乱もあって,法人の経営は急激に悪化,1993(平成5)年の有利子負債は97億円に達した.
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