特集 わが病院のめざすもの—新・改築時の理念と実際
医療法人喜峰会東海記念病院—225床
岡山 義雄
1
Yoshio OKAYAMA
1
1医療法人喜峰会岡山病院
pp.1032-1033
発行日 1988年12月1日
Published Date 1988/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541209437
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新築に踏み切った契機
昭和25年4月,筆者はそれまで名古屋大学より派遣されていた長野県農協(現在の厚生連)の昭和病院長を辞し,名古屋市の中央,中区大津橋角(県庁はじめ諸官庁の入口)に外科岡山病院を「急性腹症の早期診断と治療」,「救急災害医療」を二本の柱として開設.44年5月,更に市の中心,中区栄一丁目の現在地に,千坪の三方道路に面した土地を得,「第二次救急」,「人間ドック並びに健診と健康管理面からリハビリ」までの準総合病院として新築移転.60年11月には広小路伏見角の日土地ビル(御園座斜前)3階に中日文化センターと呼応し,「フィットネスとプライマリーケア」としての拠点を確保し,第一線開業医師として,初療より社会復帰まで一貫した医療に専念してきた.
その間国民の生活環境は著しく改善され,日本は世界一の長寿国となったが,一方,高齢化社会の到来と共に「健やかに美しく老ゆる」ことが大切な時代となった.そこで,従来にない各科にわたる総合リハビリテーションセンタ」の必要性を痛感し,同時にそれを支える成人病,老人病の専門外来,更に第二次救急と当院の在来医療の内容とその範囲の拡大を計り,広く地域社会の保健,医療,福祉に役立つ新病院の建設を意図するに至った.たまたま将来の相続税対策として30年前に購入した土地があり,今回更に隣接地を求め,五千数百坪となった.
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