人
在宅ケアに奔走する「志布志の赤ヒゲ医者どん」 国立療養所志布志病院院長 二渡久良氏
津曲 久之
1,2
1元鹿児島県医師会
2津曲病院
pp.924
発行日 1984年11月1日
Published Date 1984/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541208437
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「二つの祖国」の伊丹明の母校,旧制鹿児島県立加治木中学校の40回卒業150余名中,15名が医師になった.そのほとんどが自立の路を選んだが,彼のみがただ独り,初めから国立の医療機関で一途に頑張っている.石油備蓄で今なお激しく揺れている志布志湾岸の国立志布志療養所(昭和54年国立療養所志布志病院と改称)に転勤して来たのは昭和33年6月のことである.着任早々,同地の河川沿いの僻地に群発する肺ジストマの調査検診に取り組んだ.
これがきっかけで昭和36年から地域の成人病検診,老人検診に地方自治体の職員と共に山野を駆け巡る.45年同所長に昇任してからは脳卒中予防特別対策を立て保健所を中心に開業医,地方自治体などに協力し,同検診に積極的に手を貸している.
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