人
基礎研究から社会的実践への道 日本結核病院協会理事長 北錬平氏
下出 久雄
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1国立療養所東京病院呼吸器科
pp.288
発行日 1981年4月1日
Published Date 1981/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541207427
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ある若い医師たちの勉強会で大きな風呂敷包みをさげてこられた北先生とお会いしたのはもう10年ちょっと前であった.先生は「私の若いころは晴嵐荘(茨城県)から剖検材料をリュックでかついで中野の岡治道先生のところまで教えを乞いに来たものだ.今はこうして教えるものが重い教材を運んでくる」といささか皮肉っぽく笑いながら話された.先生は非常に熱心に,懇切丁寧で実証的,論理的な講義をされた.
先生のこの精神は先生の著書「結核症候学」,「肺結核の臨床病理」や昭和32年の結核病学会シンポジウム「結核症の発病について」での病理解剖学的研究報告にもよく現されていた.これらの研究は昭和13年からの国立療養所村松晴嵐荘時代と22年から33年までの結核予防会結核研究所時代の20年の長きに亙っている.東大昭和12年卒の先生の同期の方にはいわゆる「社会派」的な研究者が多かったようであるが,先生は学生時代から農村衛生調査のために朝鮮に出かけられたり,戦後は自宅に同好の士を集めて結核の社会医学的研究を行われたそうである.先生のこの考え方は結核が減少した今日でも一貫しており,その正しさは最近の米国の論文「化学療法の勝利と社会経済問題」によっても証明されている.
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