人
「万象是師」を座右の銘として 立川共済病院院長 相澤豊三氏
長谷川 恒雄
1
1伊豆韮山温泉病院
pp.16
発行日 1976年7月1日
Published Date 1976/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205942
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相沢先生が慶応大学病院から立川共済病院へ移られて,4〜5年になるでしょうか。たびたびお目にかかれる機会がある私には,教室時代の先生のままです.先生がわが国ではじめてN2O法を用いて,脳の循環と代謝を開発されたことは,今更,述べるまでもないことです.また今年2月に脳卒中学会ができ,初代会長になられたことも記憶に新しいところです.
横浜で生まれ,東京で育ち,慶応に学ばれそして慶応で教えられた先生の経歴を知れば,誰もが江戸っ子気質と慶応ボーイの風格を備えた方だと想像します.しかしお会いした途端,イメージが破れ親近感に包まれて,つい時を過してしまうことになります.先生は人の和を大切にされ,これまで門下生に対しても厳しい態度を示されたことはありませんでした.自からが自からに対して勉強に次ぐ勉強を続けられ,常に自分に対してのみ厳しく対処されました.これがまた逆に門下生にとってはもっとも厳しい教えであったかと思います。このため教室には自由に学問に専心する空気が生まれ,多くの優れた業績が残されました.また老人病学では五島雄一郎教授,神経学では後藤文男教授,田崎義昭教授,浜口勝彦教授,心臓生理の渡部良夫教授などをはじめとする優秀な人脈ができ上りました.
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