病院長プロフイル・59
虎の門共済病院々長 大槻菊男氏
pp.914
発行日 1958年11月1日
Published Date 1958/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541201437
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名実ともに大院長——最も意欲的な病院を作る——
「私は仙台の田舎で育つたものだから,未だに,東北弁が抜けなくて,普通に話している積りでも医局員や,看護婦に強くひびいてね」.事実先生は座談がうまいという方ではない.演説にしても論旨明快と云う訳には行かない.諄々と誠心誠意説く方の型だから,政治力とか学会で大向うをうならすというよりは,一人一人の患者をつかまえて,親切に説得し丹念に手術する側であり,臨床医としては理想的の人である.
大正の始め,東大を卒業,近藤外科に2年ばかりいて,当時下谷で有名だつた楽山堂病院に迎えられて,副院長をつとめ,後,塩田先生のあと,小石川分院の外科部長と,薬理学の数年を除いては実地臨床に専念された.当時の外科は,整形外科から婦人科,泌尿器科まで含んでいたので,現在の様に専門化された,狭い外科の前の最後の人であるかもわからない.
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