人
理想の大学・東海大病院のシンボルを担って—東海大学病院長・笹本 浩先生
本間 光夫
1
1慶大内科
pp.20
発行日 1975年8月1日
Published Date 1975/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205678
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いつお会いしても溌刺とされ,年を感じさせない方である.ちなみに先生は明治45年山梨県の生まれである.時代の流れは新設大学の設置を要求した.それに応え松前総長の高邁な大学の理念は念願の医学部を設立した.自他ともに許していた慶応の看板教授の職を振り切って,先生はその壮大な現代人の夢を実現させるべく決然として赴任された.よほどのアイデアと自信がなくてはできないことである.噂によると日頃日本の医療のみならず国の将来を考えておられる武見日本医師会長の推薦も大きく影響したという.将来の慶応医学を考えるとき,大変惜しい方を失ったものである.話をすると新しいアイデアが滔々と溢れでて,誰しも度胆をぬかれる.しかし嫌味が全くない.まさに人柄である.事実,東海人病院では,コンピューターシステムを完全に駆使し,カルテおよび中検への材料搬送が自動化され,夢の一部が現実化されている.かかる徹底的な合理化をすすめる一方,同時にヒューマンリレーションを重視し,全人格教育に情熱を燃やしている.かつて慶応を離れ他の大学や病院に奉職している者には,直接の門下生でなくとも,常に心にとめられ,機会あるごとにひきたててくれた.筆者もその1人であるが,先生の包容力の偉大さに敬服する.教育者にはいろいろの型があるが,この先生のためならばという感じを持たせる不思議な魅力の持主である.
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