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読者の声
津田 順吉
pp.68
発行日 1972年12月1日
Published Date 1972/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541204860
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聖フランシスコ病院長の教示(7月号より)——病人ファーストという考え方——
‘病院’という雑誌を創刊号からながめている.ことに最近の20年間はながめるばかりだった.
それは内容が次第にむずかしくなってきたので理解ができなくなったからで,読めなくなったのだ.しかし,3年に1度,2年に1度,1年に1度くらいは,私にも理解のできるものがあって,このときの喜びは,金銭にかえがたく,30年の年月のかいがあるというべきであり,全く物の用にもならぬ片隅の老医も何かを申し上げたくなる.よし一冊の雑誌でも読めもせず,私だけのために書棚に積み重ねておくことの恥しさから,せめてもと,私より貧しい町の保健婦さん方に見ていただき(私同様読めぬかもしれないが),そして1年分をとりまとめて,大学の歯学部図書館にお贈り申し上げてはいる.せめてものなぐさめだ.そして1冊700円もする7月号で秋月・岩佐の対談の教示を頂いたのだった(招待席‘被爆地にとどまって診療しつづけた25年’p.64).私は秋月院長を知らなかった.日本医師会雑誌に杉靖三郎(この人の力も大きかったと思う)の書評が4,5行出ていたのも知らなかった.ただ,朝日グラフの最後の頁の‘わが家の夕めし’で秋月院長の白髪頭の写真と談話を見ていた."青年期に,姉妹ふたりと私も結核になった.魚をみるとまくらを並べた病床を思う"ということは,何かへんてこりんな院長だと思った.
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