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高島平ニュータウンに医師
本誌編集部
pp.82-87
発行日 1972年12月1日
Published Date 1972/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541204867
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板橋区医師会病院が‘オープンシステム病院’という方式をとってはじめておめみえしたのは,昭和41年のことである.場所は同区大和町,石神井川のそばであった.しかし,すぐに氾濫するこの川の改修工事が開始されることになり,かねてより計画のたてられていた同区高島平への移転が進められたわけである.
高島平は,人口2.5万を擁する都内随一のニュータウンとして,日一日とその全貌をあらわしつつあるが,3年後には付近の住民も入れると56万人という,驚くほどの居住者をかかえることになる.この地区の中心地,銀行や郵便局などのたちならぶ‘官庁街’の一角に,8階建,100ベッドの板橋区医師会病院がオープンした.
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