病院の広場
新しい社会保険小倉記念病院の建築にあたって
副島 謙
1
Yuzuru SOEJIMA
1
1朝日新聞西部厚生文化事業団経営社会保険小倉記念病院
pp.17
発行日 1970年12月1日
Published Date 1970/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541204171
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大正5年に創立され,50数年の歴史を持つ旧病院を売却して,北九州市小倉区貴船町の紫川畔,国道沿いの現在地に総合病院を新築し,移転することを決定したのは昭和42年3月であった。旧病院が繁華街の中心にあり,騒音・排気ガス・スモッグなどの公害に抗しきれず,加えて敷地(2944m2)の狭小のため今後の医療の進歩に対応する施設の拡充や,患者のための駐車場にも多大の支障をきたしたためである.
建築設計にあたって70年代の公的総合病院は,より多くの人びとのために,ホスピタリティの名の示すごとく,1.心身ともによりよい環境で,2.よりすぐれた高い水準の医療を提供するとともに,3.地域社会の健康管理をも担当すべきものでなければならない,との考えで,その基本設計を九州大学工学部建築科青木正夫教授に依頼するにあたって,1.従来の病院の暗いイメージを排除し,あくまで患者中心とした,明るく親しみやすい,樹木に囲まれたホテルのごときイメージを与えるものであること,2.急速に進歩する医学に対応した診断・治療・看護を行なうための施設を整え,これらのものが有機的かつ能率的にその機能を発揮できるように配置されるべきこと,3.将来2次,3次拡張と,自動車の駐車場に備えるために十分の敷地を残すこと,などを主たる目標としてほしいことを希望した.
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