院長訪問・6
—救世軍杉並療養所院長—長崎太郎先生
岩佐 潔
1
1病院管理研究所
pp.59
発行日 1965年12月1日
Published Date 1965/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541202738
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先生はキリスト教徒の家庭に育ったのであるが,青年の頃にはこれにレジスタンスを感じていた。しかし九大の医学部に昭和22年に入学してから,救世軍のもつ実践的役割に共銘し,やがてこれに身を投ずることになった。
救世軍といえば,暮の街かどで道行く人に呼びかけている"社会鍋"が思い出されるが,社会のなかに在って,しいたげられ,困っているものの味方となり,それに救いを与えようとする運動がある。したがって,救世軍が病院を持つのも当然である。救世軍はイギリスのメソジスト派の牧師であったブース大将によって1865年に創られた。大将というのはこの組織が軍隊的組織をまねたためであって,長崎先生も大尉の制服を常に身につけている。この運動がわが国にはいったのは明治28年のことであるが,同43年には東京の御徒町に病院が創られた。ここの初代院長が松田三弥という偉い人で,その伝記を読んで長崎先生は大いに心を動かされた。この病院は下層階級のための病院であったので,夜9時頃まで外来をやり,また医師と看護婦が組みになって遅くまで往診を行なっていた。産後退院した患者には,必ず看護婦が家庭訪問して育児指導も行なった。結核患者も多かったので英国のパプアスに似たコロニーを作ることを思いたち,松田院長は東京近郊の諸々方々をさがしたのであるが,結局のところ焼場に近い和田堀村に結核療養所を建設した。これが今の杉並療養所であって50年以前のことである。
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