病院長プロフイル・37
国立名古屋病院長伊藤吉孝博士
pp.28
発行日 1956年10月1日
Published Date 1956/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541201151
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日本の「おへそ」と謂われる名古屋は,今,信長,秀吉,家康三傑祭りで,全市を挙げての復興大名古屋祭の真最中,日本の医療の核心を目指しての第十一回全国立病院,療養所綜合医学会とがお祭りとは別な,診療のかたわら真摯なる医学徒の医学研究の赫々たる成果が発表され,討論されて,之れが関係医療施策に,反映取捨され得可き素地をも包含し得る,重要な研究討議の場の一つとして誠に意義あるものである。
今回の此学会の委員長は国立病院を代表して,かつての絢爛たる名古屋のシンボル金鯱空しく潰え去り,老松影さし残り野菊の城の夢跡に,近代病院建築の粋を蒐めて,突兀堂々,天に伸び,地に延びる国立名古屋病院長伊藤吉孝博士として,今斯界の脚光を浴びて,クローズアツプされた唯一のものであると謂い得べきか。君は資性温厚,而も内剛外柔の特長ある物腰は,三重は蛤の名物で有名な桑名の産,後藤新平の創つた県立愛知医専を卒えて,郷土の名誉のために?流石に,産婦人科を専攻し,婦人をうまく取扱つて来た永年の板に付いた人に接する物腰とみられる。
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