病院長プロフイル・21
重厚な手腕家小野寺直助氏(社会保険下関厚生病院長)
pp.55
発行日 1955年5月1日
Published Date 1955/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200957
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一口に申せば,ただ日本人の寿命だけでなく,その活動能力をも身をもつて延長して来た医学者である。写真に見られる様に円満,温厚然も老いてますます盛んな常に笑顔の今年満72才の先生である。
本州の南端,九州への入口,渦潮まく関門海峡に望む下関の漁商船の出入おびただしい港口に臨むこの病院が下関市民は勿論,多くの内外国船員が安心して働く事が出来る様に最善の努力をなし,そして多くの感謝を受けているのは院長の徳の一端であろう。
先生は岩手県胆沢郡前沢の明治16年の産,明治37年一高を終え,九州帝国大学の前身福岡医科大学の明治41年の恩賜金時計組。大正5年九大内科教授(第三内科初代教授)。東北人特有の努力と忍耐,九州人の情熱と実行力とを相合わせた先生は昭和9年の「胃運動描写法の臨床診断的価値に関する研究」に対して日本内科学会よりの恩賜金記念賞の授与となり,別府九大温泉研究所の設立等公私多忙の中に停年,九大名巻教授となり,普通の隠居のコースを先ず打ち破り,高き理想と情熱で招かれて自身,満州医学開拓にのり込まれたのであるが終戦となり帰国後,国立亀川病院長更に懇願され久留米大学々長として政治的,教育的な手腕を発揮され同大学を今日あらしめた人である。ついで昭和25年に現在の下関厚生病院に迎えられた。
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