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受難期の病院管理
新垣 政恒
1
1国立所沢病院
pp.22-25
発行日 1950年2月1日
Published Date 1950/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200090
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1,はしがき
サチヤグラハの提唱者又実行者として有名なガンジー翁は,1920年6月の「ヤング・インデイア」紙上で,次のようなことを言つている。即ち「未だ嘗ていかなる国家も,受難の火によつて純化されずに,勃興したものはない。母親は子を生むために,陣痛の苦しみを嘗めるのである。小麦が成長するためには,その種子は死ななければならぬ。生命は死から来る。印度は,永久の法則たる受難を通しての純化なくして,どうしてその奴隷状態から起上ることが出来よう」と。
このガンジー翁の言葉は,今の日本及日本人に取り,この上ない心の糧であり,又力強い希望の光であると私は思う。蓋し色々の意味で,受難時代の若杯を満喫しつつあるわれわれであるからだ。この時にあたり,私は国立病院長並に外科医長としての約2ヵ年にわたる体験を語り,広く医療関係者,ならびに心ある一般同胞に悪えたいと思う。題して「受難期の病院管理」と言う。
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