海外レポート
社会主義国の耳鼻科を訪ねて(1)—ソビエト連邦
野村 公寿
1
1東海大学耳鼻咽喉科
pp.149-155
発行日 1980年2月20日
Published Date 1980/2/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492209045
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ウラルを越えて
晩秋の成田を昼すぎに飛び立つと,2時間あまりでもう陽が沈んだ。一面の雪に覆われたシベリアの山や平原,蛇行する川などがどこまでも続いている。とつぷり日が暮れると,もう地上にはほとんど明かりが見えない。アエロフロートのイリューシン62Mは西へ西へと飛び続けた。
一行は東海大学形成外科の長田光博教授と病理学の渡辺慶一教授,私の3名である。1978年11月19日の深夜,6時間の時差があるモスクワのシェレメチェボ空港に到着した。ちようど10年前に,ナホトカ航路ではじめてソ連の土を踏んだときに比べると,わずか10時間の快適な飛行であつた。空港は,オリンピックまでに新しいターミナルができる予定であるが,現在の施設はもう古く,折から日曜日の夜で,外国帰りの人々でごつた返していた。英語通訳のガリヤさんの出迎えをうけ,夜のレニングラード街道をソビエツカヤホテルへ向かつた。
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