鏡下耳語
版画に想う
景山 勝
pp.288-289
発行日 1973年4月20日
Published Date 1973/4/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492207910
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書架の片隅から,版画の作品集を取り出して見ると,「昭和乙未の春」と記された七色摺りの古い年賀状が出てきた。思えば,木版画との附合いも,少なくとも,20年に及ぶ勘定になる。それにしては,進歩の跡がなさすぎると,不甲斐なさを感じながら,兎にも角にも,彫り続けてきた,版画への興味は,一体,何であつたのだろうと考える。
版画と云えば,多くの人は,浮世絵を頭に浮べる。確かに,江戸時代の版画の興隆は,将に絢0爛たるものがあつた。多くの優れた作家が続出し,庶民の芸術として,役者絵や風景画の数々を残してきた。それらは後に西欧にわたり,ようやく,近代絵画ののろしを上げようとしていた,エ・コール・ド・パリーの巨匠達に驚きの目をもつて迎えられた。何故なら,彼らがやつと発見し始めて居たデフォルマシオンとか,単純化という,近代絵画の表現要素は,遠い東洋の国から送られてきた浮世絵の中に見事に生かされていたからである。彼らはこぞつてその影響を受け,浮世絵を高く評価した。さあ,こうなると,"株が上る"のが,昔も,今も,日本の常である。国民のすべてがその価値を再認識し,浮世絵は国の内外を問わず,急速に,その高い芸術性を確固たるものとした。こうして,版画は日本芸術を代表するものの一つとなり,日本は版画の国となつた。なにしろ,「バレン」とか,「ハンガ」という言葉が,そのまま美術界における世界共通語となつたのだから―。
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