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所謂面皰母斑に就て
塚田 進
1
,
谷田 津奈男
1
1東北大學醫學部附屬病院長町分院皮膚科
pp.275-277
発行日 1953年5月1日
Published Date 1953/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491200964
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緒言
Kofmannは1895年にEin Fall von SeltenerLokalisation und Verbreitung von Komedonenの標題下に19歳男子に於ける一種の帶状母斑を記載した。その幼時よりの存在,節状外観,偏側罹患等はその組織學的検査を缺くにかかわらず,所謂偏側性面皰母斑の第1例として認められている次で翌1896年SelhorstがNaevus acne iformisunilateralisの題下に,及び同年ThibiergeがNaevus acneique unilateral en bandes et enPlaques(或はNaevus A Comedons)の題下に記述したものは頗る相似たる症例であつた。即ち孰れも若い女性の頸,上胸部及び上膊に列序性且つ左側偏側性に面皰,皮脂を充たした開大毛嚢及び是等の二次的感染に基く瘢痕等を構成因子とする帯状病巣であつて,同時に組織學的検査が施行せられた。今や是等の報告が世に出てから60年に垂んとするが,この間歐米での報告は精々50例を算えるにすぎない。我國では1914年岡村が初めて本症例を叙べた。夫は23歳男子(華僑)の右側胸部第6及び第7肋骨に亙つて斜走する,面皰,痤瘡,瘢痕,淡褐色々素斑等より成る帯状病巣で,之を列序性面皰母斑Systemasierter Comedo-N-aevusの標題下に詳述した。
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