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脳神経外科学会の集計によれば,てんかん外科手術症例数が昨年1,000例を超えたとのこと,手術の詳細は不明ですが,今までの道のりを思うと感慨深いものがあります.てんかん外科は1886年のVictor Horsleyによる手術に始まりますが,日本では伊藤隼三が1902年の第1回日本総合医学会においててんかん外科に関する特別講演を行っており,1世紀以上の歴史のある分野です.脳神経外科の発展に深く関与し,脳機能の解明に大きく寄与してきたと思います.現在行われている術式は,1960年までに確立された術式を発展させたものであると言っても過言ではありません.日本では1970年代に吹き荒れた学園紛争の際,ロボトミー手術に代表される精神外科の1つとみなされ,不毛の時代を経験しています.私は1975年に長崎大学脳神経外科(森 和夫教授)に入局しましたが,当時てんかん外科手術はほとんど行われていませんでした.入局後,kindling(燃え上がり)てんかんモデルの研究を命ぜられましたが,脳神経外科学会では発表する場もなく,脳腫瘍,脳血管障害の研究をしている脳神経外科医を羨ましく眺めていたものです.しかしながら,てんかん外科を研究し,継続しようという種火を守る流れは継続されており,てんかんという言葉を表に出さずにペンフィールドの名前を隠れ蓑にした「ペンフィールド記念懇話会」が1978年に森教授を会長として開始されました.当時の発表をみると外科手術に関する報告は少なく,外傷性てんかんの疫学に関する多施設共同研究が継続して行われていました.現在でもてんかん外科はマイナーな分野ですが,当時はそれ以下で,その頃,森教授は「人の行く,裏に道あり,花の道」と詠んでおられました.また,当時の状況を“現在の日本のてんかん外科は,いわば「一粒の麦,地の塩」のようなものだ”とJuhn Wada教授が述べられています.(真柳佳昭,日本てんかん外科学会設立30年記念講演).ちなみに日本てんかん学会でてんかん外科が初めてシンポジウムで取り上げられたのは1991年の第25回総会からで,私も発表の機会を与えられましたが,清野昌一会長より「てんかん外科に反対するグループが参入するかもしれないので,警備は強化してあるが臨機応変に対応していただきたい」と言われたことが印象に残っています.「ペンフィールド記念懇話会」はその後1997年になり「日本てんかん外科研究会」,さらには私が会長を担当させていただいた2000年の第23回より「日本てんかん外科学会」と改称し,発表演題も増加し,てんかん外科のみをテーマとする世界でも類をみない学会に発展してきています.
さて,てんかん外科の現状についてみてみますと,日本てんかん学会専門医試験にはここ数年10名程度の脳神経外科医が受験していますが,てんかん外科を目指す若手脳神経外科医が需要に見合うだけ増加しているわけではないように感じます.これはトレーニングを行う施設が必ずしも十分あるとはいえない現状に問題があると思います.てんかん外科は脳神経外科のみで行うのは不可能で,種々の科が連携した包括的なチーム医療の場が必要です.2014年よりてんかんの包括治療を行っている施設が集まり,「全国てんかんセンター協議会」という新たな学会が始まりましたが,てんかん外科を行っている施設は参加30数施設のうち15施設のみです.ここでは2015年に500例弱の手術が行われていますが,年間20例以上の開頭手術を行っているのは9施設で,若手医師が勉強できる環境は十分整っているとはいえません.厚生労働省は「てんかん地域診療連携体制整備事業」を2015年より試験的に開始し,全国で8つの地域ですでに開始されていますが,これは地域における施設の連携を強化し,てんかん治療の充実を図ることを目的にしています.すなわち,地域のてんかんセンターが三次施設となり一次,二次施設と連携を行い,患者さんの状況に応じてより適切な治療を行おうという全国てんかんセンター協議会の構想をバックアップするために開始された事業です.「患者さん目線」という意味では現在の診療体制より望ましい体制だと思います.一方,日本脳神経外科学会専門医受験資格として,てんかん外科を含めた機能的脳神経外科を経験することが要求されていますが,大学を中心としたすべての基幹施設にててんかん外科手術が可能なわけではなく,地域のてんかんセンターと十分連携して若手をトレーニングする必要があると思います.現在,日本の専門医制度は混沌としていますが,最も患者さんに寄与するという視点から大きく体制を見直すべき時期と思います.
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