扉
創薬に関わって
渋谷 正人
1
Masato SHIBUYA
1
1社会保険中京病院
pp.971-972
発行日 2010年11月10日
Published Date 2010/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436101278
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1.生化学のはじめ
1968年,横須賀米海軍病院でのインターンを終え,名古屋大学脳神経外科大学院に入ったが,研究テーマは暗中模索.医局では杉田虔一郎先生がフライブルグ大学から帰り,パーキンソン病に対するステレオの手術を盛んに行い,視床の下端を決めるのに電気刺激による散瞳反応を用いていた.私が電気生理は得意でないことと,先生の「これからは生化学の時代だな!」の一言で,当時愛知県コロニーにおられたサッカー部先輩の日高弘義先生のもとで研究することになった.日高先生は米国ロッシュ研究所時代の,カテコラミン代謝から,当時最先端であったcAMPの研究に移り,研究室をあげて,代謝酵素のフォスフォジエステラーゼ(PDE)をやっておられた.後に大阪大学に帰ってこられた垣内史郎先生がカルモジュリン(CaM)と呼ばれることになるPDEの活性化物質を発見された頃である.
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