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脳は文字通り神経系の中枢であるとしても,周辺,末梢がなければ何もできない.切り取られた脳だけがいろいろ考えるというのは,手塚治虫の漫画にもあるし,陰気くさい小説もある(ヤシルド『生きている脳』)が,どちらでも筋書きは受動的に進むことしかできない.眼は,口と同じくらい「ものを言」ったりするかもしれないが,物理的な表出手段として,人間の場合に「手」より以上のものはない.単に物理的どころか,精神的なものも,手には反映する.
チャールズ・ベルの『手』は,「ブリッジウォーター叢書」の1冊として刊行された(Sir Charles Bell:The Hand, Its Mechanism and Vital Endowments, as Evidencing Design. 1833).叢書の呼称に,わざわざ「創造に示される神の英知と善を説くための」と書いてあることからもその趣旨は明らかだ.信心深いブリッジウォーター伯爵,フランシス・エジャートンが遺産から8,000ポンドを充てて,王立協会会長が8人の著者を選定して執筆して貰うようにと依頼したことから,「叢書」は成立した.いずれも自然科学の眼を通して見た「神の栄光」を説くことを目指している.地質学とか無機化学とか,包括的なものが多いなかで,この第6巻『手』は,ごく具体的な題名をもっている.依頼者としては,ベルがこの限られた入口から広大な思想的景観に導いてくれることを期待したのだろう.ベルは既に神経系研究の大家であるとともに,以前に刊行した『表情論』のなかで,叢書の趣旨にふさわしい議論も展開していた.(表情論は1806年に前身というべき本が出て,その後1824年に本格的な第2版となった.ただし《神経心理学コレクション》に収められている『表情を解剖する』は最終の第4版によっていて,この版自体の刊行は1847年,つまり『手』よりかなり後で,ベルの没後でもあった).
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