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脳神経外科医を目指して35年になる.『脳神経外科』誌に掲載された論文で勉強し,また数編は掲載された.その「扉」を書く栄誉を与えていただいたのを機会に,これまでの道を振り返ってみたい.
我々東北大学医学部昭和47年(1972年)卒業予定者の中には,脳神経外科医(以下,脳外科医)をめざす学生が1人もなかった.私も内心,基礎医学の生化学を勉強しようと思っていた.卒業前の12月頃だったろうか,クラスの中でだれか脳外科医になってほしいという意見がでてきた.意思表示をしていなかった私にみんなの注目が注がれることになり,親友たちからの進言が回を重ねた.自分の親が脳卒中で他界していたことも拍車をかけることになり,「脳外科医をめざしてやれるだけはやってみよう」ということにした.そこで,故鈴木二郎教授が主催していた東北大学長町分院脳疾患研究施設脳腫瘍部門(広南病院長町番外地といわれていた)の医局にいるテニス部の先輩を訪ねた.2年間,岩手県立中央病院で研修しながら,脳外科の実際を経験してみるのがよいだろうとの進言を受け,それに従った.外科,内科,産婦人科,病理などの研修をしながら,毎晩のように病院に寝泊りし,脳神経外科急患の診療を手伝わせてもらった.同時に,東北大学の医局から派遣されて来ていた先生方にも公私にわたって教えていただく機会に恵まれた.2年目からは,ほぼ脳外科の研修医のようなかたちにしてもらい,本格的に脳外科医をめざすことになった.脳外科部長の原田範夫先生は,当時から眼科用の手術用顕微鏡を用いて,Sylvius裂経由で動脈瘤のクリッピングをされていた.抄読会でYasargil先生の手術に関する論文が発表された時,ここでは世界的な脳外科医と同じ方法で手術が行われていることを知り大いに感動した.また,くも膜下出血の患者も多く,年間100例近いクリッピングが行われていた.クリッピングが上手く行き,術後経過も順調で,そろそろ抜糸して退院へと考えている矢先,朝元気だった患者が夕方には半身不随で話もできなくなっている.血管撮影をすると,脳血管が糸のような攣縮を起こしている.多くの治療も効なく,寝たきり状態で退院してゆく.将来は,脳血管攣縮が起こらない方法を,または起こっても治す方法を研究しようと思うのは自然だったような気がする.手術室で閉頭しながら,看護師と「開頭せずに動脈瘤を治療できるようになるといいね」とか,放射線科の技師と「針を刺さないで,血管が見えるようになるといいね」などと話していたものである.
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